【り】「理性と本能!」

「り」

なぜ、人間は本能的行動よりも理性的行動を好ましいと感じるのでしょうか?場所によっては本能を優先するケースもあると思いますが、理性が重んじられるケースについて、人間はなぜそういう思考をするのかという事を考えています。そもそも理性的行動は何なのか、本能的行動と理性的行動はどこで線を引くべきかという点についても漠然としていて、定義ができていません。人間の動物的能力は、他の哺乳類に勝っているかというと、それほどでもありませんが、知的能力の高さは比べる相手がいません。突出しています。一番不思議に思うのは「意識」という能力です。物事や時間や、そして何よりも自分を意識できるということ。他の動物にはありません。いや、鏡を見て自分だと分かるということは、「意識」の働きによるのかもしれませんが、意識してたけどいることさえ意識できるというのは人間ならでは。人間は知的高性能動物、ですね。生命は生きようという本能があれば生きられます。それに感情が加わればもっと生命体らしく生きられます。でもその能力に限りがあるので、結果「自然」を保つことになるのでしょう。理性は、「感情に溺れずに、道筋を立てて物事を考え判断する能力」とありますが、往々にして自分にとっての良し悪し、損得を判断し選択しがちです。でも、その理性の働きによって、自分の損得から離れて他者に向けて、社会に向けて行動させることができます。このことが理性的行動を重んじる、ということになるのではないでしょうか。