【く】「くまモンの人気!」

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「熊本には三つの宝がある。熊本城、阿蘇、そしてくまモンだ」そう語るのは熊本県知事・蒲島郁男さんです。ゆるキャラブームを超えて、日本のみならず世界で愛されるキャラクターとなった「くまモン」。くまモンの誕生から現在までのストーリーを聞いていると、熊本、東京、大阪、そして世界でまったく異なる受け止められ方をしていることに気づかされます。そして2016年4月14日に発生した熊本地震。震災を契機に、あらためてくまモンの存在は、県民にとっていなくてはならないものになりました。2011年3月に九州新幹線が全線開通。それを前年に控えたタイミングで「くまモン」は、PRキャラクターとして2010年3月に誕生しました。「くまもとサプライズ!」というキャンペーンのアドバイザーを務めたのが小山薫堂さん、デザインを手がけたのがデザイナーの水野学さん。そもそもキャンペーンのロゴマーク提案時におまけとしてくっついてきたのがくまモンなんですよ。え、おまけだったんですか?「はい」水野さんが「キャンペーンをやるなら一緒にキャラクターも必要なんじゃないか?」と、ご提案いただいたんです。ゆるキャラを作ればプロモーション活動の中で立体で動くだろうし、そこを配慮した動きやすいデザインになっていたんですね。とても気に入って、これも一緒にやろう!とくまモンが誕生しました。くまモンといえば熊本のご当地キャラクターというイメージか広く浸透した今では意外かもしれませんが、くまモンが最初に認知され、その人気に火がついたきっかけの土地は大阪なのだとか。当初は熊本との関係さえ伏せた上で、くまモンは独立した謎のキャラクターとして活動していました。西日本では割と知られている話なんですけどね(笑)。「くまモン」は大阪にPRするためのキャラクターとして、徹底的に大阪に出張し、活動していました。大阪人にウケるためには、面白いことをしなくてはいけません。神出鬼没にあらゆるところにいきなり現れたり、1万人に名刺を配ってみたり、吉本新喜劇に出てみたり。一方、SNSを活用した双方向での情報コミュニケーションにも力を入れていました。くまモンの人気に火をつけたきっかけは、2010年10月頃。熊本県知事の蒲島郁男が行った緊急記者会見でした。大阪で1万人に名刺を配るミッションの最中だった、くまモンがとつぜん失踪。目撃したら、「#kumumon」というハッシュタグをつけてツイッターで報告することを呼びかけた「くまモンを探せキャンペーン」を行ったのです。これがソーシャル上で話題を呼び、大阪で人気者となったくまモンは熊本、そして全国で知られるようになっていきました。日本全国、そして世界でくまモンが知られる大きな要因になったのが、いわゆる「楽市楽座」方式の採用でしょう。「楽市楽座」方式とは、くまモンのイラスト利用に関わるライセンス料をフリーにし、許可を受ければ誰でもグッズを無料で作成できること。2013年12月よりライセンス料をフリーにしてから、くまモン関連グッズは全国に爆発的な広がりを見せて、現在では年間の売り上げが1,000億円を超えています。