【や】「やさしさ」と「冷たさ」!
「や」
「優しさ」と「冷たさ」ってすごく似てる・・・というか、表裏一体なんじゃないかって。たとえば、ものすごく優しくしてくれる人がいます。でも、その優しさは好意に裏付けられるものじゃなくて。それほど対象に興味がないから、どこまでも優しくできる。そのことに、最近気がつきました。もちろん、まったく好意を持てない対象であれば、優しくなんかできないでしょう。でも、嫌いではないけれど、そこまで興味がない。だから、優しくなれる。優しくできる。下心の混じる好意に基づいた優しさは、純粋な優しさじゃない。そこには何かしら見返りを求める姿勢が感じられるから。純粋な優しさ・・・見返りを求めない優しさのことだとしたら、それはきっと「冷たさ」と言い換えてもいいと思う。だって、優しさを与えることは所詮自己満足で、自分が与えたいと思ったら与えられるし、与えたくなければ与えないこともできるものだから。そうやって、自分の思うままに優しさを振りまくことは、ある意味罪深いことで。それを平気でやってのける人は、冷たいんじゃないかと思う。その優しさに救われた人がいる。それは確かなことだけれど。優しすぎることは時に深く人を傷つける。気を持たせることと同義になってしまうから。その気のない相手に期待させることほど、可哀想なことはないから。でも人間は皆罪深い。困っている人には優しくしたくなるのが人情で。傷ついた人が、期待してや余計に傷ついたとしても、誰も責められない。優しいことと冷たいことは裏表。その思いは変わらないけど・・・それも仕方ないこと。たとえ冷たいと言われても、優しさは無くしちゃいけないよなぁ。・・・と思う、今日この頃。