「幸」や「不幸」は、自分の心が決めているだけ!

すべての人が指をさして「これが幸せだ」と言えるものが、この世
にはあるでしょうか?

たとえば、Aさんが「幸せだ」と言っても、他の人は「幸せではない」
と言うかもしれません。

すべての人が絶対的な価値を持って、「幸せだ」と思えるものは、地
球上には存在しない。

たとえば、仲間たちと一緒に食事をしたり何かを見たり聞いたりした
時に、そこで「幸せ」を感じるというのは、その人にそう感じる「心」
があるからでしょう。「幸せ」は感じた人にのみ、そこに存在する。
感じた人にのみ「幸せ」が生まれる、という構造になっています。

同様に、「不幸」というものも、現象も、この世には存在しません。

どんなにお金持ちで恵まれた環境にいる人でも、本人が「不幸だ」と
思えば、それは「不幸な」ことになります。逆にお金がなくても、状況
や環境が他の人から見てひどいものであっても、本人が「幸せ」を感
じていれば、それが「幸せ」になります。

「幸」も「不幸」も存在しない。それは他人が決めることでも外的な
もので決まるのでもなく、その人自身の「心」が決めているのです。

悲しみや苦しみは、実は現象のとらえ方によって、「幸せ」になって
しまうこともあります。そういう場合は、「悲しい」「苦しい」と
言っていた現象が、幻になってしまう。「悲しく」「苦しい」現象が
消えてしまうのです。

妻がいる幸せ。独身でいる幸せ。幸せは、その人にのみ帰属するもの
であり、幸せが見つからないと言っている人は、幸せを感じる心を動
かしていないだけかもしれません。

事実や現象はひとつ。ただ、それを受け止める側の「心」がその現象
の価値を決めている。

「とらえ方」の違いで、目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる
、ということのようです。

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